「面白い」という言葉、表情がふわ~と輝き明るく見えることを言うのだそう。
表題のようなちょっと難しそうに感じる問答だけど、一緒に雑談の中で読み解いていくと大人も子どももみんなの表情が明るくなった、予想を超えてたのしかった。
その日、用意した資料をくっつけておきます。よかったら読んで見てください。
一人で読んでもつまらないかもしれないけれど、みんなでワイワイ話すことができればこれはみんなに関わる内容だった。
子どもたちの口から
・不思議に直面する体験を他者と共有したいと願う表現が人間の特性って書いてあるけど、、、、、、、だから舞台があるんやな。
・太陽が神なのではなく、ひかりの来る瞬間が神なのであるって、、、、、なんか・・なんか・・・・わかる、すごい。
・科学の知 と 神話の知が生きていく上で両方必要って、すごい深い~!!!
といった子が笑うとみんなが笑った。
その後も、図書館へ神話に関する書籍を探しに。
日本の神様の名前辞典を見ながら「神様の名前が凄すぎるな!!」と盛り上がり、朝から始まった活動はアッという間に15:00となった。
あらためて、日本の神話、自国の神話って、なんとなくでいいので知っているということは、
悩んだとき考えるとき助けになってくれると感じた。
次回の活動で、皇学館大学を訪ねる。
この活動を終えて、やわらかいのに大きな衝撃を受けた。
この表現クラブの活動は、
舞台で、”日本の風土から生まれた気持ちいい営みを忘れないで生きていきたい”といったことを表現するために
ほんの少しでも、その気持ちいい営みに触れておきたいというフィールドワークなのだけれど・・・・・・
日常生活と、私たちの暮らしを支えてくれている自然という環境は、分断されてしまっていることを思い知らされる。
また、その自然という大きな命と向かい合って日々仕事をしている今回お世話になった三浦さんのような仕事人はどのくらい残っているのだろう?とあつかましいながらも不安になる。
自然という環境も一つの命なんだということを完全に忘れて生きている自分を含む多くの人間も、ホンモノの木こりさんの敵に違いない・・・・・。
しかし、この日はかけがえのない素晴らしい時間を得た。
人間という感性ある特別な生きものになるためになくてはならない実体験の時間だったと思う。
今 ホンモノの第一次産業に従事する人と自然を感じる時間、それを誰かと共有する時間が誰もに必要だと感じる。
特に、子ども達にはみんなに体験してほしいと思う。
この全身が感じたこともほおっておけばアッという間に薄らぐだろう。
さて、どんなふうに舞台表現で活かせるのか・・・・・・・・。
これからが悶々の日々になる。
今回は、白山町城立 元取地区でお世話になった。
山の国 日本。
すでに日常では全く意識しなくなった山。
というよりも観光化されている山でないければ踏み込めなくなっている。
降った雨が山を通って流れ出し・・・・・・・・ということは散り合えずおいといて、
国土の70%が山で、古代から山と共生共存共栄を・・・・・・これもおいておいて(^◇^)
山に身を置き、樹木に触れてみてほしいという願いがある活動。
最初は、足場の悪さや虫に身体が固まる子どもも多かったが、
里山のじいちゃんが、木を切り倒し、虻を華麗にやっつけるのを見て、子どもたちは何かやる気になっていったと思う。
かっこいいなあ、素敵だなあと感じることを即座に真似ること、これが自然体験講座なのかもしれない。
洋服が汚れることも、靴が汚れることも忘れて、黙々とのこぎりを動かし続ける。
働くって、気持ちいいよね!! 仕事するってかっこいいよね!! (*^-^*)
二日前に子牛が生まれたという。
春子の子ども。
100% 人工授精・人口分娩という酪農(このことさえ知らなかったわけだけれど)、
それがここでは、365日放牧で、自然交配で自然分娩、
当たり前のことが特別すぎることで頭がこんがらがる。
名付け親になることになった女の子が一日中牛に張り付いていた(≧▽≦)
名前を付けるという責任を果たそうとする心意気が美しい。
森の劇場ぷロジェクトの自然活動の中で、人間の感性についてよく空想にふける。
古代 自然という大きな命と向かい合い協力しないでは、生きることのできなかったころ、人はみんな神様だったんじゃないか?
星の位置、月の光といった不思議をずっとずっと抱えながら、想像や空想の中で浮遊することをどのようにたのしんでいたんだろう・・・?? などなど。
今回、三浦さんという木こりさんを訪ねて、またそのあたりの謎に迷い込んだ気がする。
それは、心地よいのだけれど、感じてみたくなって途方に暮れるといった感じ。
第二回目、山肌への芝植え作業。
溝の水分に向かって伸びている日本芝をバリバリバリっとむしり、それを三等分ほどにして、山の斜面にザックリ切り目を入れて植え込み、ドンっドンっ踏み固める。
山の父さんや兄さんのやり方を見ながら話を聞きながら、幼いながらに腑に落ちれば適当な作業ではなくなる様子が見える。大切なことだな。
間伐作業が進むと「お~い」と牛を呼ぶ、みんなで呼び続けた。微かに足音!そして姿が見えたときの嬉しさ(≧▽≦)/ ようこそようこそ!!
倒れた木の葉っぱを無心に食べる牛たち、カワイイ!カワイイ!!を連発する子どもたち、見ていて幸せになる。
夕方、干し草やり作業では、牛の最後尾から牧牛犬さながら牛を追っていく。
大人になるまでに、人間ではない命と存分に戯れることが本当に大切だと感じる。
『出雲の国譲り』~『天孫降臨』
出世魚のように何度も名前を変えていく大国主命。
成長の過程は波乱万丈すぎるけれど、ただただ突き進んでいく姿は、今の時代に勇気をもたらせてくれる。
何度も何度も話し合い試行錯誤しながら国譲りは進んでいく。
解決するまでに、世代が変わっている、、、、、孫の世代を想像しながら木の世話をし、爺さんの仕事を想像しながら木を切るといったことなのだろうと思う。
神話の中には、今 納得して生きることのヒントが詰まっている。
*次回は、11月3日(木・祝)です。 どうぞ、どなたでもお越しください(^^)/
故意に計画しなければ得られないと思われた『のんびり』『ほのぼの』といった時間から解放された感触は・・・・・?得られるのか???の実験企画でもある今年の少人数開催。
午前中は、数回この活動を経験してきた男の子が「虫取りしながら山の探索」を、企画計画実施した。
一日を振り返ってみると、私自身が時間からの開放感を味わえた活動となったと思う。
・先輩男子は、よっかったな 自分が好きなこと(虫取り)を改めて感じることができた。と、
・初参加の男児は、僕は毎年来るワ!と、
・初参加の女の子は、ここの牛たちは自由やな~、といった。
みんながそれぞれに、ここでこの夏休みにたくましい何かが(*^-^*)育ちそうな気がした。
コロナ第七波爆発、そして猛暑の中、全員出席でスタートを切れたことにまず感謝したい。
子どもたちの本能の芽を育てるには、全身を使って全力をかけて遊ぶことしかないと、あらためて実感することになった初日となった。
正誤善悪を後回しにした子ども里山そうぞう学校、このことを理解しようとする大人と、承知している自然の中で、子どもたちは野生化していった。
野生になることのできる場でありたい。
今の時代に新たに構築していく必要性のあるコミュニティーを探求する実験企画「みんなの共栄座」
ちょっと文化政策事業らしく難しい言葉を使ってみたけれど、
言い換えるならば、
お金やら、地位やら解放されて、好奇心やら正義感騒ぐ面白そうなことをやってみることのできる場(きっと、昔なら 本当の村の大切なまつりの世話役の集まりみたいなのだろうと思う)を
つくれたらつくったほうがよいだろうな~と感じるので、探求したいと言うこと。
結論としてできる!と感じた。
現代の閉塞した重い分厚い扉を長い時間かけても開けたいと思っている人たちが何人もいた。
私には、日本神話の天の岩戸開けの時の、いろんな個性の神様がドンチャン騒ぎして笑っているように感じた。
できてもできなくても大したことはない、こんな人たちと何かが起こったら面白いと思った。
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