今年度の「霧山薪能」が、雨天中止となり、急きょ地域の公民館で「小さな能楽お披露目会」を開催しました。
北畠神社境内での特設舞台という特別な舞台を経験することはできませんでしたが、
地域の方々や、薪能だったら遠くて観に行けなかったという方も参加していただき、
演者、参加者が重なり合えた澄んでいて温かい時間が生まれました。
今年は、子どもたちと共に練習をすすめる中で、
一つの言葉一つの動きに、
自分を正し、選び、行い、判断するといった独特の凝縮されたものを感じました。
それこそが、子ども達の成長を物語っているのかもしれません。
子どもたちの人間らしい凛とした表情や所作も、観る人に喜びをもたらしたようでした。
ありがとうございました。
9月から、月に一回 12月までの四回活動
ノルディックウォーククラブは、単発活動を経て三年目
今年は、姿勢づくり、体をつかう気持ち良さを感じてもらう、自然の中を歩く非日常での気分転換といった
純粋なノルディックウォークに加えて、
暮らす地域を知る、地域の活動に仲間と参加してみる(たまたま、そういったイベントと重なっていることがあった)という体験を含めてみる試み。
現代っ子たちの、純粋経験に出会う難しさや、その純粋経験的な個々バラバラの遊びに中の満足感を共有するといった大事な大事な瞬間が巻き起こった。
ノルディックの活動が終わった後、香良洲高台防災公園にある芝生の小山でお昼となった。
早々におにぎりを食べ終えた子どもたちは、小山で滑る、転がる・・・・の遊びをはじめた。
何回も、、、、何回も
徐々に、頭もカラダも解放されてきてヘラヘラと笑い始めた、それは視ている大人を幸福にした。
これを純粋経験の共有といっていいように思う。
本当なら、表現といった時間、今起こったことを言葉で交換する時間を持つはずだったが、
だんぜん優先度が高い瞬間だったので、ずっと転がってもらった(*^-^*)v
保護者へのお知らせ済のプログラムを、優先度によって臨機応変に変更可能なところ、、、
というのか、なんとなくみんなで優先度を認識できる空気感が、のんびりとした信頼し合える
安心感のようなものを感じた。
・小さな活動であること ・継続参加可能な活動であることの良い点と言える。 みんなで創作活動をする感触。
なにがおかしいのか?わからないけれど、笑えてくるという、カラダもココロも解き放たれた遊びが子ども達には何より大事!!
森の劇場プロジェクト事業が関わる「霧山薪能」が雨天中止となり、「小さな能楽お披露目会」を開催させていただくことになりました。
✦9月30日(水) 18:10開場 18:30開演 19:00終演の小さな催しです
✦津市白山町 大三公民関
✦入場無料 要申込
アクシデント対応のこの催し、準備はじめてみると地域文化芸術活動として良いこといくつもありそうです。
急ではありますが、是非お越しください♥
本番前 最終の稽古を終えました。
能楽の専門の学び場ではないが、プロの能楽師に指導を受け、薪能の舞台に立つ。
それは、どういうことだろう、専門の能楽教室と何も変わらない体験を期間限定でするということだと思います。。
ただ、そうぞう学校では、
舞台に立つと決めること。
なぜ立ちたいと思うのか? 舞台の上の自分はどんなふうでありたいのか?
を、毎回 自問してもらいながらすすめます。
自分で目標を決め、自分で達成していくたのしさを知る微かな疑似体験ができますようにと祈ります。
日本の国の建国の歴史に出会う夏休み親子講座は、無事終了した。
日本が日本として存在したいのか? 大国の属国たなっていきるのか? そんな危うい時代に編纂された「古事記」「日本書紀」
古人の伝えたかったことは何か?
・一つに、神代の時代から、草も虫も石も動物も人間もみんな仲良く生きる国をつくろうとしていた意思のようなもの。
・それから、神も皆、最初から完全ではなく、失敗を繰り返しても、そこから学び立派に成長していけるということ。
これらから、わかることは、草や虫や動物や石ころや多くの人間を知る必要があることと、 大きな試練こそ成長の糧であること。
一見豊かな、我慢することのない暮らし。 子どもが成長するには大きな仇となっていることがわかる。
さて、
活動を終えたこれからが、夏休み子ども大学を開催した目的に着手することになる。
聖徳太子とか、とんで井上毅といった、未来を憂いで希望を仕掛けたような知識と技と心意気を見習って、
100年後、公共文化施設の使命に自国の歴史に触れる機会をもててよかったねえとなる仕組みを軽やかにつくってみよう。
前半の伊勢神宮おひざ元の皇學館大学から、松阪の小野江地区の氏神さん小野江神社に場所を移し、先生は宮司さん。
前半では、伊勢神宮が果たしてくれている役割を知り、神話はダイジェストで神武東征まで触れた。
繰り返し出てくる、多くの困難を乗り越えて立派になっていくという神さまたちの物語。
古代の人たちが、なにを残そうとしたのか!? 未来の人たちへのエールが伝わってくる。
今日は、その神武天皇から景行天皇、日本武尊まで。
駒田宮司さんも、新田先生も、子ども向けにやさしい言葉にすることはない。
大人は言葉で理解しても、子どもたちは一気に空想の世界でふんわりと感じ取っているように見える。
だから、子ども向けとか、大人向けということはなく、まずはそれぞれが自分の想像の世界で出会うのだと思う。
途中、近くの公民館の職員さんが見学に来られて、感心して帰って行かれた。
敗戦後、GHQによって奪われたという国史。
公共文化関係施設が是非とも取り扱ってほしい。
間違いなく、智(思考力とか・・)、仁(思いやりとか・・)、勇(勇気とか、好奇心とか、、)の育みになります。
しっかり勉強して、その学問を愛している人が語らないとだめだけれど。。。。。。
皇學館大学での新田均先生講座 最終回 ・・・→ 松阪の小野江神社に場所を移して後半へ
自分の国の建国の歴史を知ることも大事ながら、
「聞く」「書き取る」「伝える」という、時代に逆行している学びの方法が
AI依存の時代に自分で人間力を養える方法だと新田先生と共に振り返った。
この日、4年生の男の子が前回の講座のまとめを発表してもらった。
また、中学1年生の女の子が、3回を終えた感想を伝えた。
この二人には、電話でオファーした。
特に迷うことなくOKとの返答。
男の子は緊張していた。そして、本人も緊張したという。この合致って大事だと思う。
私は、緊張している様子は本当に好きだ、美しいと思う。
女の子は、「最初は興味がなかったが、だんだん面白くなってきた。」というシンプルな内容だったが
メモを準備していた(^.^)。 ちゃんと言えるように自分で準備したのかな?
メモを見ながら発表したけれど、本当にそう感じたことが伝わってきた。 感じいい♡
改めて、子ども里山そうぞう学校開設の時の理想を確認すると↓
「自意識の芽吹く10歳前後の若い世代に対し、驚くほど嬉しくなったり、泣きたいほど緊張したり
自分は何が好きで何が嫌いだと感じるのか?いったい何をしたい!と思うのか?といった
自分を探るような経験のできるプログラムが、地域の中にあると素敵だと思います。
教育者はただ見守り、芸術活動家はただ自分の愛するモノのことを語り、
地域の大人が少し世話をやく、そんな空間がつくれないのだろうかと。」
感じて・考えて・表現(伝える)することを大事に見守るプログラムを企画し続けてきた。
今、森の劇場プロジェクトは、人間だれしもが持つ根源芸術性に着目している、
言い換えれば審美眼とか良心とも言えるように思う。
新田先生は学者だが、研究して信頼できる学問を楽しそうに語る。
だから、芸術活動家なのだろう。
そんな言葉は、漢字のならぶ一見難しそうな内容も、年齢に関係なく耳に届くのだろうと思う。
子どもたちの表現も、小さいながら根源芸術の芽のようだった。
「神武東征」 日本の初代神武天皇が、まずよい心をひろめたい、
そして、家族のように仲良く暮らせる国をつくろうと、理想を言葉にされたという我が国、日本。
人と人は、ひとめ惚れということもあるけれど、
国に関しては歴史を知らなければ愛せないと思う。
知った上で、自分の国のお国柄が苦手というのはよいけれど、
知らないというのはよくないと思う。
自国の歴史を正しく知っていることが普通になった社会を想像すると、
根っこ、、、、もしくは、根っこから手を伸ばす菌根菌のような愛情を共有できるような気がした。
公共劇場の使命に相応しいと思う。
自分の生まれ育つ国の建国の歴史を知っていることが、どうか普通になりますように。
「日本の神話ダイジェスト ~天地開闢から天孫降臨~」
今回の資料は、神統譜のプリント 大学生にする授業のプリントと同じものだそう。
小2~中1の6名の子どもたち、
初回の自己紹介から、
なにかははっきりわからないが興味を持ち本人に強い希望があったという子から
親が参加したかったので半ば強制的にという子まで、
年齢も動機もバラバラ。
個人的に、やはり第一歩目が肝心だなあと感じる。
理由は何でもいいのだけれど(ご褒美と引き換えでもかまわないが)、よく話合って自分で参加すると決めること。
これまで、子どもの活動の中で感じることとして、
子どもの優れた能力として、寝ていても、よそ事を考えていても、大事なことは聞こえているということがある。
理解するとか、そういったこととは別だけれど。。。。 そんなことよりも、そこに居るということが最も大事なこと。
現代、肝心な空間に子どもを導くのは親の役目なのかもしれない。
肝心な空間と、子どもの様子から、体験の機会を選択できるとイイと思う。
しかし、理由は何であれ、あなたが決めたことだよね! 約束は守ってね!!という親の態度も大事。
日本の神話に触れるという大きな目的の他に、毎週(計5回)の活動をどのように子どもたちが過ごすのかも興味深い。
日本の古典芸能は、積み重なっていくようになるまでの段階が曖昧だと思うことが多い。
西洋のものはメソッドといわれるものがしっかり体系化している。
どちらがイイというわけでもないけれど、
今、教える専門家も、関わるスタッフも、その曖昧さを承知の上で子どもたちと関わりたい。
今、同じ活動の「夏休み子ども大学」で、日本の神話に関わっている。
記紀神話もまさしく一人ひとりが想像の中にたのしむしかない。
しかないけれど、それに慣れてくるとその物語は幾通りにも解釈できて、たかだか100年ほどの人生の中では一生たのしみきれない内容と言える。
しかし、専門家や関わる大人が、曖昧であやふやなものだからまあどうでもいいんだよ!などと子どもを甘く見てしまったら、
間違いなく子どもたちにとって一足進めることなど何の意味もなくなるだろう。
明確ではない、日本の伝統芸能!
仕舞を教えるという事は、 飽き足らぬ能楽愛を語るということなのかな?と思う。
NPO法人 森の劇場プロジェクト
〒515-2602