本番前 最終の稽古を終えました。
能楽の専門の学び場ではないが、プロの能楽師に指導を受け、薪能の舞台に立つ。
それは、どういうことだろう、専門の能楽教室と何も変わらない体験を期間限定でするということだと思います。。
ただ、そうぞう学校では、
舞台に立つと決めること。
なぜ立ちたいと思うのか? 舞台の上の自分はどんなふうでありたいのか?
を、毎回 自問してもらいながらすすめます。
自分で目標を決め、自分で達成していくたのしさを知る微かな疑似体験ができますようにと祈ります。
日本の国の建国の歴史に出会う夏休み親子講座は、無事終了した。
日本が日本として存在したいのか? 大国の属国たなっていきるのか? そんな危うい時代に編纂された「古事記」「日本書紀」
古人の伝えたかったことは何か?
・一つに、神代の時代から、草も虫も石も動物も人間もみんな仲良く生きる国をつくろうとしていた意思のようなもの。
・それから、神も皆、最初から完全ではなく、失敗を繰り返しても、そこから学び立派に成長していけるということ。
これらから、わかることは、草や虫や動物や石ころや多くの人間を知る必要があることと、 大きな試練こそ成長の糧であること。
一見豊かな、我慢することのない暮らし。 子どもが成長するには大きな仇となっていることがわかる。
さて、
活動を終えたこれからが、夏休み子ども大学を開催した目的に着手することになる。
聖徳太子とか、とんで井上毅といった、未来を憂いで希望を仕掛けたような知識と技と心意気を見習って、
100年後、公共文化施設の使命に自国の歴史に触れる機会をもててよかったねえとなる仕組みを軽やかにつくってみよう。
前半の伊勢神宮おひざ元の皇學館大学から、松阪の小野江地区の氏神さん小野江神社に場所を移し、先生は宮司さん。
前半では、伊勢神宮が果たしてくれている役割を知り、神話はダイジェストで神武東征まで触れた。
繰り返し出てくる、多くの困難を乗り越えて立派になっていくという神さまたちの物語。
古代の人たちが、なにを残そうとしたのか!? 未来の人たちへのエールが伝わってくる。
今日は、その神武天皇から景行天皇、日本武尊まで。
駒田宮司さんも、新田先生も、子ども向けにやさしい言葉にすることはない。
大人は言葉で理解しても、子どもたちは一気に空想の世界でふんわりと感じ取っているように見える。
だから、子ども向けとか、大人向けということはなく、まずはそれぞれが自分の想像の世界で出会うのだと思う。
途中、近くの公民館の職員さんが見学に来られて、感心して帰って行かれた。
敗戦後、GHQによって奪われたという国史。
公共文化関係施設が是非とも取り扱ってほしい。
間違いなく、智(思考力とか・・)、仁(思いやりとか・・)、勇(勇気とか、好奇心とか、、)の育みになります。
しっかり勉強して、その学問を愛している人が語らないとだめだけれど。。。。。。
皇學館大学での新田均先生講座 最終回 ・・・→ 松阪の小野江神社に場所を移して後半へ
自分の国の建国の歴史を知ることも大事ながら、
「聞く」「書き取る」「伝える」という、時代に逆行している学びの方法が
AI依存の時代に自分で人間力を養える方法だと新田先生と共に振り返った。
この日、4年生の男の子が前回の講座のまとめを発表してもらった。
また、中学1年生の女の子が、3回を終えた感想を伝えた。
この二人には、電話でオファーした。
特に迷うことなくOKとの返答。
男の子は緊張していた。そして、本人も緊張したという。この合致って大事だと思う。
私は、緊張している様子は本当に好きだ、美しいと思う。
女の子は、「最初は興味がなかったが、だんだん面白くなってきた。」というシンプルな内容だったが
メモを準備していた(^.^)。 ちゃんと言えるように自分で準備したのかな?
メモを見ながら発表したけれど、本当にそう感じたことが伝わってきた。 感じいい♡
改めて、子ども里山そうぞう学校開設の時の理想を確認すると↓
「自意識の芽吹く10歳前後の若い世代に対し、驚くほど嬉しくなったり、泣きたいほど緊張したり
自分は何が好きで何が嫌いだと感じるのか?いったい何をしたい!と思うのか?といった
自分を探るような経験のできるプログラムが、地域の中にあると素敵だと思います。
教育者はただ見守り、芸術活動家はただ自分の愛するモノのことを語り、
地域の大人が少し世話をやく、そんな空間がつくれないのだろうかと。」
感じて・考えて・表現(伝える)することを大事に見守るプログラムを企画し続けてきた。
今、森の劇場プロジェクトは、人間だれしもが持つ根源芸術性に着目している、
言い換えれば審美眼とか良心とも言えるように思う。
新田先生は学者だが、研究して信頼できる学問を楽しそうに語る。
だから、芸術活動家なのだろう。
そんな言葉は、漢字のならぶ一見難しそうな内容も、年齢に関係なく耳に届くのだろうと思う。
子どもたちの表現も、小さいながら根源芸術の芽のようだった。
「神武東征」 日本の初代神武天皇が、まずよい心をひろめたい、
そして、家族のように仲良く暮らせる国をつくろうと、理想を言葉にされたという我が国、日本。
人と人は、ひとめ惚れということもあるけれど、
国に関しては歴史を知らなければ愛せないと思う。
知った上で、自分の国のお国柄が苦手というのはよいけれど、
知らないというのはよくないと思う。
自国の歴史を正しく知っていることが普通になった社会を想像すると、
根っこ、、、、もしくは、根っこから手を伸ばす菌根菌のような愛情を共有できるような気がした。
公共劇場の使命に相応しいと思う。
自分の生まれ育つ国の建国の歴史を知っていることが、どうか普通になりますように。
夏まつりの本質・・・・祈り
市長挨拶・・・・・・・政治
踊って・歌う・・・・・芸能
これらを融合させて、地域住民が地域の未来をそうぞう(想像×創造)する実験をさせてもらった。
準備は、まったく足りなかったが、
最も大事な、自治会(会長)、まつり実行委員(数名)、行政(市長)が、
なんのためにやってみるのかを共有できて実施にこぎつけたことが何よりの成果と感じた。
このことは、10年続けてきた活動の蓄積力だと思う。
一世代前の地域づくりに尽力してきた方々の協力(浴衣を着ての参加)は、本当に力強かった。
この方々のやってきたことの中で、なくしてはならないことを吟味して、若い世代の意見と混ぜ合わせてみる必要がある。
夏まつりといった地域の行事を、意図的に地域の未来づくりに役立てることは、地域というコミュニティーの存続に必須。
日本の古典芸能は、積み重なっていくようになるまでの段階が曖昧だと思うことが多い。
西洋のものはメソッドといわれるものがしっかり体系化している。
どちらがイイというわけでもないけれど、
今、教える専門家も、関わるスタッフも、その曖昧さを承知の上で子どもたちと関わりたい。
今、同じ活動の「夏休み子ども大学」で、日本の神話に関わっている。
記紀神話もまさしく一人ひとりが想像の中にたのしむしかない。
しかないけれど、それに慣れてくるとその物語は幾通りにも解釈できて、たかだか100年ほどの人生の中では一生たのしみきれない内容と言える。
しかし、専門家や関わる大人が、曖昧であやふやなものだからまあどうでもいいんだよ!などと子どもを甘く見てしまったら、
間違いなく子どもたちにとって一足進めることなど何の意味もなくなるだろう。
明確ではない、日本の伝統芸能!
仕舞を教えるという事は、 飽き足らぬ能楽愛を語るということなのかな?と思う。
「日本の神話ダイジェスト ~天地開闢から天孫降臨~」
今回の資料は、神統譜のプリント 大学生にする授業のプリントと同じものだそう。
小2~中1の6名の子どもたち、
初回の自己紹介から、
なにかははっきりわからないが興味を持ち本人に強い希望があったという子から
親が参加したかったので半ば強制的にという子まで、
年齢も動機もバラバラ。
個人的に、やはり第一歩目が肝心だなあと感じる。
理由は何でもいいのだけれど(ご褒美と引き換えでもかまわないが)、よく話合って自分で参加すると決めること。
これまで、子どもの活動の中で感じることとして、
子どもの優れた能力として、寝ていても、よそ事を考えていても、大事なことは聞こえているということがある。
理解するとか、そういったこととは別だけれど。。。。 そんなことよりも、そこに居るということが最も大事なこと。
現代、肝心な空間に子どもを導くのは親の役目なのかもしれない。
肝心な空間と、子どもの様子から、体験の機会を選択できるとイイと思う。
しかし、理由は何であれ、あなたが決めたことだよね! 約束は守ってね!!という親の態度も大事。
日本の神話に触れるという大きな目的の他に、毎週(計5回)の活動をどのように子どもたちが過ごすのかも興味深い。
夏休み子ども大学 「日本の国ができたときに、中心にあった大切な物語 <記紀神話より>」 始まりました。
子どもを対象とした、日本の国の神話に出会う講座をはじめて5年目。
5年前、小学生と一緒に皇學館大学を訪れて、
今年の第一回と同じ「伊勢神宮と日本の神話」の話を聞いたときの衝撃は忘れられない。
衝撃といっても、一つは清々しい風が身体を吹き抜けていったような気持ちの良い衝撃。
神話として描かれた時代からのおまつりが伊勢神宮で行われ続けている。
日本の神話は、間違いなく太古から生き続けているなんて、、、、
自分の生まれた日本という国は、素敵な素晴らしい国だ!!と、初めて意識した。
二つ目の衝撃は、自分の国のことを何も知らないという事は、自分の国を好きかどうかも判断できず、
自分の生まれた国を好きでも嫌いでもないというようなことは悲しいと感じた。
自分の生まれた国のことを何も知らないことにも気づいていなかった衝撃はとても気持ち悪い閉塞される衝撃だった。
知るべきだ!と思った。
どのように学ぶ場を作ればよいのかわからないまま、皇學館大学教員の新田先生や、小野江神社の駒田宮司さんに頼ったまま、丸4年を経て、
子どもたちの様子や言葉を拾い集めていく中で、
今、日本の国の古代史を学ぶことは、閉塞感が高まり続ける現代の中で、
人間という性質を自身で育てて成長するための突破口になるのかもしれないと思うようになっていった。
この、夏休み子ども大学は、上記の視野で行う活動の第一歩目。
顔合わせの段階では、不安の緊張感があふれていた。
当然だと思う、新田先生だって、もちろん私だって緊張していた。
しかし、その緊張感は、90分の座学を乗り越え、午後の猛暑の中の伊勢神宮参拝を終える頃には安心感に大きく傾いていたと感じる。
新田先生のお話、そして伊勢神宮、どちらもホンモノだという事は、年齢に関わらずわかるのだと思う。
専門家と、子どもたちと、その保護者というバラバラな多様過ぎる人たちが、みんなで良い時間をつくり出すことができたように感じた。
ホンモノを知りたいという共通意識とでもいうのだろうか???
今の社会に圧倒的に足りない、地域の人間関係と、年中行事、これらが相まって自然に身に着けていただろう人としての教養は、
時間・労力がかかりすぎて、現代には当てはまらない。
が、
日本の神代の物語の学び(知識)とフィールドワーク(実体験)と、仲間となる人とのクロストークが、穴を埋めることになる
可能性を感じる初日だった。
第二回は、日本の神話ダイジェスト「天地開闢 ~ 天孫降臨」 たのしみです。
定員となり、子ども里山そうぞう学校の夏休み子ども大学開催が決まりました。
古代への大冒険
「日本の国ができたことに、中心にあった大切な物語」(記紀神話より)
個人的には、失われてはいけない育み(教育)が再現できるのか?と、そういったことも大変楽しみです。
天地開闢~神武東征
初代天皇となった神武天皇が望んだ国、、、、、
『まずは、よい心を育てたい、みんなで一つの家族のように仲良く暮らせる国をつくりたい』
ここにたどり着くころ、子どもたちはどんな想像を話すのだろう?
たのしみに、そして、しっかり取り組もうとあらためて思います。
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