7/9 舞台表現クラブメンバー全員元気に出席
半年間の活動の無事を祈って、川口白山比咩神社で正式参拝(古代からつづく日本の風習の体験を含め)
神主さんに、神社創建の伝説の話を聞きながら、何百年も前の世界をイメージし意見を出し合った。
ただ、想像してみる! 私はこう思う!! これが大事!!!
この子たちとの半年間の想像の旅、愉快ではあるものの闘いの旅がスタートしました。
台風の影響で朝から強い雨だった。
フィールドワーク最終日、”もしも小学校で日本の神話について1日だけ学べる日があるとすると何を教えていただけますか?”という図々しいお願いに
✦まずこの日、新田先生は、軽快に清々しく、そしてまたたのしく伝えてくださった。 ⇔ 子どもたちも自由に受け答えし始める
・日本人にとって、伊勢神宮はどんなところなのか?
・伊勢神宮は何をしているところなのか?
・伊勢神宮と日本神話の関係
✦それから、外宮を参拝し、遷宮館を拝観
講義を聞いた直後だからか? 子どもたちが熱中して見ているからか? 博物館の展示がグイグイ身体に迫ってくるようだった。
子どもたちも宝飾工芸品や建築物、またその映像を食い入るように見ている、「綺麗」「細かい」「美しい」と言う、本当にそうだ。許されるならまだまだ見ていたかった。
✦あまりにも激しい雨に、内宮は諦め大学にもどって振り返りを共有した。
【ここに私の感想を書いておきたい】
・身体は、軸がスッと抜けたような軽やかで視界が広がってさわやかになった。とぎれとぎれだったモノがうっすらと繋がったのだろうと思う。不思議な体験。
例えば
・神宮では年間1500もの神事が執り行われている。 このことは文字として知っていた、『へぇ~そうなんだ~、そんなにやることあるのかな?』と言った感想だったと思う。
ところが直に話を聴くと、今日も日が昇ったことに感謝し、美しい水が今日も井戸から湧いていることに感謝し、神様、それは祖先といった考えでただただおいしいものを食べて喜んでほしいと願う、、、、、、
そんな心の熱が伝わってくるようで、本当にありがたいことだと感じたし、ここに自然と共に生きていたという事実を感じた。
私は、常々 子どもたちに本モノ(人も物も自然も)に出会う機会を設け、それらに触れることで自分自身の審美眼を育ててほしいと願っている。
それを仲間と共有して、自分ではない考えにも出会い、本当のことを選択することができるようになれば、自分に自信が持て、生きることは楽しくなるのではないか?と思うので。
今日は、先生も神宮も博物館も、そして雨も本モノだった。 それはすごい迫力だった。
その夜、布団に入ってから泣きそうな感情になった。 多分 生かされている・・・・・ということをゆっくりと味わっていたのかもしれない。
こんな時代だからこそ、すべての小学生に日本神話に触れておいてほしいと心から願う。
きっと悩んだとき、悲しくてたまらない時、もちろん嬉しい時も、神話は相談相手になってくれると思う。
人の本能の栄養に日本神話はなってくれると思う。
子どもたちのことを、すばらしい子どもたちとおっしゃってくださった。
新田先生も、ラベルの無いフラットな方だった。
ただ、自分が良いと思うことをずっと研究されていて、自分で信頼できることを自身をもって話してくださるから、子どもたちは尊敬して安心して一緒にフラットになれるんだろうと思う。
また子ども達は(私たち大人も)人間になる階段を登っているように感じた。
ありがたさに涙こぼるる一日だった。
さあ、舞台に向けて頑張ろう(^^)/
「面白い」という言葉、表情がふわ~と輝き明るく見えることを言うのだそう。
表題のようなちょっと難しそうに感じる問答だけど、一緒に雑談の中で読み解いていくと大人も子どももみんなの表情が明るくなった、予想を超えてたのしかった。
その日、用意した資料をくっつけておきます。よかったら読んで見てください。
一人で読んでもつまらないかもしれないけれど、みんなでワイワイ話すことができればこれはみんなに関わる内容だった。
子どもたちの口から
・不思議に直面する体験を他者と共有したいと願う表現が人間の特性って書いてあるけど、、、、、、、だから舞台があるんやな。
・太陽が神なのではなく、ひかりの来る瞬間が神なのであるって、、、、、なんか・・なんか・・・・わかる、すごい。
・科学の知 と 神話の知が生きていく上で両方必要って、すごい深い~!!!
といった子が笑うとみんなが笑った。
その後も、図書館へ神話に関する書籍を探しに。
日本の神様の名前辞典を見ながら「神様の名前が凄すぎるな!!」と盛り上がり、朝から始まった活動はアッという間に15:00となった。
あらためて、日本の神話、自国の神話って、なんとなくでいいので知っているということは、
悩んだとき考えるとき助けになってくれると感じた。
次回の活動で、皇学館大学を訪ねる。
この活動を終えて、やわらかいのに大きな衝撃を受けた。
この表現クラブの活動は、
舞台で、”日本の風土から生まれた気持ちいい営みを忘れないで生きていきたい”といったことを表現するために
ほんの少しでも、その気持ちいい営みに触れておきたいというフィールドワークなのだけれど・・・・・・
日常生活と、私たちの暮らしを支えてくれている自然という環境は、分断されてしまっていることを思い知らされる。
また、その自然という大きな命と向かい合って日々仕事をしている今回お世話になった三浦さんのような仕事人はどのくらい残っているのだろう?とあつかましいながらも不安になる。
自然という環境も一つの命なんだということを完全に忘れて生きている自分を含む多くの人間も、ホンモノの木こりさんの敵に違いない・・・・・。
しかし、この日はかけがえのない素晴らしい時間を得た。
人間という感性ある特別な生きものになるためになくてはならない実体験の時間だったと思う。
今 ホンモノの第一次産業に従事する人と自然を感じる時間、それを誰かと共有する時間が誰もに必要だと感じる。
特に、子ども達にはみんなに体験してほしいと思う。
この全身が感じたこともほおっておけばアッという間に薄らぐだろう。
さて、どんなふうに舞台表現で活かせるのか・・・・・・・・。
これからが悶々の日々になる。
森の劇場ぷロジェクトの自然活動の中で、人間の感性についてよく空想にふける。
古代 自然という大きな命と向かい合い協力しないでは、生きることのできなかったころ、人はみんな神様だったんじゃないか?
星の位置、月の光といった不思議をずっとずっと抱えながら、想像や空想の中で浮遊することをどのようにたのしんでいたんだろう・・・?? などなど。
今回、三浦さんという木こりさんを訪ねて、またそのあたりの謎に迷い込んだ気がする。
それは、心地よいのだけれど、感じてみたくなって途方に暮れるといった感じ。
まずは正式参拝。
それから戦国時代に信長に焼き払われてしまったこの神社に唯一残っている「山雄田興廃記」から、神社の由緒の話を聴いた。
宮路宮司さんの話は、子ども達の緊張を徐々にとかしていくのがわかる。
ああ!神社って誰でもが安心して尋ねられる場所だったのだろうと嬉しい気持ちになった。
日本の風土と深い関係を持つ営みや、その営みから生まれた文化を舞台で表現するこの舞台表現クラブ!
今年はどんな表現が生まれてくるのだろう?
宮司さん!!一日中大変お世話になりました。 ありがとうございました。
PS.地元の子ども達にこそ、こんな体験を提供したいと思いました。
舞台作品の創作活動に入る最終のフィールドワークは、美杉町小原地区の村田夫妻を頼って、稲刈り作業と地域探検をさせてもらった。
私はこの活動を始めて、小学生という成長期の子ども達に最も大切なことが「川」「里山」といった自然の中で時間を忘れて遊ぶことだと思う。
本当は月に一回や二回程度の活動であれば、そこを超える活動はできないような気がしている。
言い換えれば、心と体をやすめてよろこばせるのに、最低週に一回は、こういった自然の中で自由に遊ぶ時間が必要だと子どもたちを見ていて感じるということ。
フィールドワーク(まあ、半分以上は遊ぶ時間ながら)から始めることのできた今年の表現クラブの子どもたちとは、
つくる仲間として、このあと本番(12/5)までの時間が過ごせたら、と感じる一日だった。
ただただ、創作作業に励みたいと感じた一日だった。
台風が過ぎて久々の晴天となった。
芸術祭の舞台作品に関わる、人の生活と山の神さんの関係を情報収集し始めて4回目。
緊急事態宣言中ということもあり、子ども達自体が活動に参加できるのかどうか?を考える機会にもなったと思う。
今回は、クラブメンバーの「自分の暮らす地域の山の神さんと、その山の神さんの家となる山を探検したい。」という提案の実現となった。
山の神さんの家とされる みえ里山自然ふれあいの会さんが管理している公園でしばらく遊び、提案者の家のすぐそばにある山の神さんまで行ってみる。
公園から50メートルほどまっすぐ下った場所に山の神さんは祀られていた。
しっかりお守りされている様子だった。 12月の第一日曜日には簡単ながらお供え物したりおまつりをするらしい。
春には山から降りてきて田んぼを守り・・・・・・といった、田んぼは見当たらなくなった地域ながら地域で大切になれているようで安心した。
そのあと、白山町の子ども里山そうぞう学校の活動で関わった、山の神さんへと移動し舞台の創作活動をした。
コロナで、利用できる施設がなかったからなのだが、屋外で!、またみんなが世話になった山の神さんの前で、創作活動ができたことは何だか愉快な時間だった。
山の神さんはどう感じているのだろうか?などと話しながら活動は続いた。
前回の活動、「小野江神社」で、神主さんから教えてもらったの山神神事の話を思い出しながら、白山町二本木で神事の歌を紡いでいったこの時間は、
舞台活動の大きな収穫となった。
午前中、
津市白山町二俣の神社跡地を探検に、社はなくなっていても地域で大切にされているのがわかる。
選ばれて地域の生活と共に大切にされている場所、そんな神聖な空気感に浸るだけで子ども達は落ち着いていくように感じた。
お昼は、この地域の高齢者が耕作放棄地の活用につくった素敵な蓮池公園で食べ、そして遊び、
午後からは、地域の歴史研究の達人(森川正美さん)に、古来からの日本の心!祈りについて話をしてもらった。
まず、フィールドワーク+座学は、心と体の融合のようにバランスの良さを実感した。
そして、これからを生きる子ども達には、
日本独特の風習や文化に直接触れられる科目と、本当の環境問題(将来自分たちが大人になって生きる土台となる土壌の問題)に触れる科目を小学生のうちから取り入れてほしいとつくづく思った。
一緒に、見て聞いてに追って触って、、、、、、そしてお互いの顔を見て、ちょっと笑顔になって、こうなるとその場ではあまり言葉が必要ではなくなる。
でも、そこにいなかった人に話したくなった時、表現することは大切になってくる。
忙しい中、二俣の中森さんも歓迎に顔を見せてくれた。やっぱりすごく安心できる。
そして、一日応援に来てくれた内藤先生!
こういった高齢者の背中も、子ども達の中に残るんじゃないか?と思う。
始まりに、今日を待つ昨日の気持ちを子どもたちに聞いた。 それぞれ昨日のことを思い出しながら自分の言葉で伝えてくれた。大きくなったな!と思う。成長しているな!と感じる。
活動を終えて、子ども達の心と体を解放して感性の育みに助力したいと願うフィールドは、大人同士の信頼関係が最も大事!と改めて思った、頭ではよくわかっていること。
しかし、本当だな!!と実感できるまでには当然時間がかかる。
お世話になる地域の人、保護者、スタッフ、誰もがこの時は、子どもたちを見ながら行動できるか?ということ。 頭ではみんな知っている正しいあり方。
五年目を迎える子どもに関わる活動、
『今を生き、成長していく子ども達に何が必要なんだろう?』その問いが大人同士の間で共通していると感じる。
ありがたい、気持ちいい、嬉しい。
私たちスタッフに、「大丈夫だよ、安心してね。」という気持ちが生まれるから、子ども達も安心するのだろう。
当たり前の事! でもなかなか実感まではできなかった。 大人数では不可能かもしれない。(今年の舞台表現クラブは6名)
ま、これは体調と同じ、すぐわからなくなったり、苦しくなったりするだろうけど、子どもたちと一緒に探検をたのしみたいと思った。
今年は贅沢に、12月の舞台までしばらくの間、子どもたちと一緒に気になることを自分たちの足で紐解いていくという時間を持つ。
舞台活動の中でもやってみたかった理想的想像時間、初日を終えてワクワク感は強まった。
NPO法人 森の劇場プロジェクト
〒515-2602